枕刀

古くから、日本刀は「魔除け」の意味をもつ。『源氏物語』にも、光源氏が悪霊にとりつかれる気配を感じて目を覚ますと、灯も消えてしまって気味悪く思ったので、魔除けのために太刀の鞘をはらって置いたという一節がある。この時代にも、刀剣に込められた霊力が信じられていたことを物語っている。
現代でも、日本刀のもつ魔除けの力を尊ぶ風習が残っている。 地域や宗派にもよるだろうが、家族や親戚など近しい人を亡くしたことがある方は、故人を安置した布団の上、納棺したあとは枢の上に、刀が置かれているのを見たことはないだろうか。これは「枕刀(まくらがたな)」といって、魂の抜けた故人に悪霊が近寄ってこないようにするための守り刀である。葬儀社が用意してくれる小刀を使うのが一般的だが、故人が生前大切にしていた 愛刀や、誕生のときに授けられた守り刀を枕刀として葬儀で使用されることもある。

「脇差(わきざし)」

「脇差(わきざし)」とは、日本刀のような長い刀が使用できないような環境の中で、刀を抜く必要が生じた際に、予備の刀として使用されていた日本刀よりも比較的短い刀になります。「脇差」は非正規の刀などといった形で言いあらわさられることもありますが、江戸時代、武士たちは「大刀」と呼ばれる長めの刀と「小刀」と呼ばれる脇差の二つの刀を帯刀していたそうです。当時「脇差」は、約60 CM 以上、30 CM 未満のものであるなどとされていたようです。江戸時代の武士たちが二つの大きさの違う刀を帯刀するに至るまでには、いくつかのきっかけとなるエピソードがあったようですが、その起源とされるところはハッキリとした出来事は判明していないようです。現代人がスマートフォンを外出時に2、3台持ち歩き使う目的によってデバイスの使い分けが行われるように、日本刀も必要に迫る用途によって使い分けが行われていたのはごく自然な事柄であるように思われます。

丁字油と打粉

日本刀は、正しく手入れをすることで、錆びや汚れから刀身を守ることができます。手入れの道具として特に大事なものは、丁字油と打粉です。刀はそのまま放っておくと、傷や汚れがついてしまいます。そのため必要なのが、丁字油などの油です。油でコーティングすることで、刀を保護することができるのです。ただし、ついやってしまいがちなのが油をつけすぎることです。べとべとすると感じるほどつけすぎてしまうと、白鞘の内側に油が染み込んでしまいます。油が染み込むことで鞘の接合部がはがれてしまう危険性があり、そのまま鞘が割れてしまうこともあるそうです。せっかく刀を守るために油をつけているのに、鞘が壊れてしまっては刀の保護どころではありません。油は薄く、油膜がついている程度で問題ありません。次に必要なものは、打粉です。時代劇などで、刀を布のようなものでぽんぽんと叩いているところを見たことある人もいるかもしれません。打粉は砥石を細かく砕いてあるものを、綿や絹で包んだものです。刀身に油を塗りますが、油は時間が経つと酸化してしまうために、定期的に塗り直さなくてはなりません。そこで、古い油を取り除くためにこの打粉が活躍します。打粉でぽんぽんと刀身を打つことで、打粉が刀に付着します。この粉は古い油を吸収してくれますので、最後に紙で拭き取ることで刀が綺麗になるのです。ただし、この打粉もつけすぎると刀に細かい傷をつけてしまいます。刀身にうっすらと粉が乗る程度で問題ありません。可能な限り、少なく使うのがポイントと言われています。初めて使うときには粉が出にくいということもあるそうです。何度か手の甲に打ち付けるなどをしてからの使用がオススメです。

ミステリアスな「小狐丸」

現在奈良県の石上神宮に「小狐丸」として呼ばれる刀剣があるようです。「小狐丸」は、平安時代に一条天皇に命じられた橘道成が、京の刀工に、剣道するための刀を依頼したことから生み出された刀剣であると考えられてきました。 小狐丸の生み出されたストーリーにはいくつか、人々によって創作された物語が付随しているようですが、その物語の中では、天皇に献上するための刀づくりを命じられた刀工が、刀づくりに行き詰まり稲荷神社へお参りに来ると、稲荷大明神の化身が子供として現れ、刀づくりを成功に導いたとされているようです。これは謡曲「小鍛冶」 の一説となる物語のようですが、この「小鍛冶」の中での「小狐丸」は、現存しないことが分かっているようです。ですが現在の奈良県の石上神宮の「小狐丸」のように、小狐丸の名前が付けられているか店は複数あるようです。歴史上に残る日本刀の存在には、神話や伝説などといったものが、含まれていることが多いようですが、そのような謎に満ちたミステリアスな謎解きも日本刀の魅力の一つといえるのではないでしょうか。

刀剣の「鑑定」のはじまり

江戸時代、泰平な世の中では、それまで武器として扱われてきた日本刀が、美術敵な価値観から注目されるようにもなるようです。それまでの時代に、刀剣目利書などとして、日本刀の評価をしてきたものが、目利きから「鑑定」にとって変わるのがこのあたりの時代であるとも言われています。刀剣に関して、「鑑定」という言葉が使われるようになると、美術的な観点からの評価が高まってきているようなのです。また、それまでは、刀剣の切れ味や吉凶を表してきた「目利き」というような表現も、美術的な評価の中での表現としても用いられるようになったようです。これらの書物の中でも、時代ごとに、刀剣の切れ味に趣を重要視するような時代と、美術的な要素を事細かに記述する時代などに分かれてくるようなのです。現代において、刀剣の鑑賞ポイントを示す際には、ガイドブックなどを参考いしてみますと事細かく記述されているのは、その価値が美術品としての傾向が強く現れているのだと実感いたします。

時代の語り部と日本刀

「打刀(うちがたな)」は、太刀とは異なる形状の打刀が作られるようになりました。太刀は、腰に吊るして用いていたのに対し、打刀は腰の帯にさして帯刀していました。また、太刀との大きな違いは、太刀は刃を下にして鑑賞したり、身につけたりするのですが、打ち刀は刃を上にして身につけたりすることが主流となったようです。それまでは武士たちののシンボルとして、大ぶりな太刀が好まれていたのですが、限られた空間である室内での戦闘を踏まえて小ぶりの刀が作られるようにもなったようです。 人々が刀剣を使用する状況や環境の中で、日本刀は様々な変化が見られたようです。現代においては、実戦ではなく観賞用の日本刀が作られ続けていますが、日本刀の違いを知ることによってその時代時代の人々の暮らしが、浮き彫りになることは日本刀の魅力の一つとしても考えられています。日本刀には物語があるという人もいます。時代の語り部としてこれからも日本とが人々に愛されることを願っています。

刀剣の保管と登録証

刀剣の保管場所としては、何よりも湿気が少ない場所が望ましいでしょう。湿気の多い場所に保管してしまうことによって錆やカビの発生が、刀身と拵が痛んでしまうからです。また、刀剣を保管する際には、一般的には横置きにするのが望ましいようです。縦置きにしますと、床との接地面がに不要な圧力がかかるなどとも考えられています。また陽のあたる場所での保管に関しては、特に拵えに影響があるなどと言われています。刀剣と拵の保管には、涼しい湿気の少ない場所が最適であるなどとも考えているようです。 老犬の他に疑問を感じたら、必ず刀剣商などの刀剣のエキスパートのあるお店の店員さんなどに、訪ねてみることが大切です。不明瞭なままで、身勝手な保管をすることで、刀剣が傷んでしまってからでは相談を持ちかけても手遅れであることもあるからです。また大切なことは、刀と一緒に登録証を保管することを忘れてはならないでしょう。刀剣をコレクションする際には、登録証も同様に丁寧に保管することが正しいコレクターであると言えるのではないでしょうか。

三条小鍛冶宗近と狐丸

刀工の中でも、三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)は有名です。平安時代の中ごろ、三条(京)に住んでいたことから呼ばれていました。当時、清少納言が枕草子を書いていた時代なため、平安時代の中でも平和な時代だったことが分かります。宗近の太刀姿が優美であるのは、この時代の空気を反映しているためとも言われています。三条小鍛冶宗近は、勅命によって国家鎮護の太刀を鍛えることになりました。しかし、神の御加護がなければできるものではないと考え、伏見稲荷大明神に祈誓をしました。すると不思議な童子が目の前に現れて、古名刀の話をして力づけてくれました。励まされた宗近が神々に祈誓をしながら仕事に取り掛かると、どこからか狐が現れて手助けをしてくれました。この話は、謡曲の「小鍛冶」に謡われています。他にも小鍛冶宗近は狐に縁があると言われており、さまざまな不思議なエピソードを残しています。小笠原若狭守という武将が、三条小鍛冶宗近の鍛えた名刀「狐丸」を帯びて出陣し、勝ち誇る上杉製の真っ只中に突入したのです。この瞬間から、戦地は凄惨な状態となりました。小笠原は狐丸をふるって激戦していましたが、顔を一颯されたことで血まみれになりました。兜は落ち、味方も次々に倒れたものの、小笠原は何とか落ち延びることができました。しかし乱戦中であったために、名刀の狐丸は叩き落され、そのまま所在が不明になってしまいました。戦後に死骸や物具が埋められて、さまざまな場所に塚が作られましたが、そのうちの一つに夜毎、狐が多く集まるようになりました。不思議に思って塚を掘り返すと、人骨に混じってあらわれたものが、この名刀の狐丸だったと言われています。

「 鑢(すずり)」の模様

日本刀の「茎」のパーツの部分は、通常は柄に隠れているので錆びついているのが一般的であるようです。黒錆といえる鉄の腐食が落ち着くのは300年ほどのの年月が必要であるなどとも言われているようです。実際にかなりの年数を迎えた日本刀の「茎」の風情は刀剣コレクターの浣腸ポイントのひとつであるとも言えそうです。「茎」には、「 鑢(すずり)」が刻まれているのですが、「 鑢」の果たす役目としては、 刀身が柄から脱落してしまうのを予防したと言われています。いつの時代からか、「 鑢」は、本来の役目とはまた別の意味での装飾的な形で施されることがメインとなり、その模様によって分類や区別が行われるようにもなったようです。「鷹ノ羽」「切」「勝手下がり」「せんすき」「化粧」など、様々な模様がありますが、流派、刀工などの特徴を表す一つの間別のでがっかりどうしても用いられているようです。日本刀の楽しみ方として、普段は一般的には目にすることのできない部分の細工や技法を堪能する楽しみも多くみつけられるはずです。