狐丸

小狐丸とよく似た名前の太刀で、「狐丸(きつねまる)」と呼ばれるものがあった。人によってはこの二つは同一の太刀ともいい、人によっては別物ともいうが、この狐丸にまつわる逸話を紹介しよう。

長野県長野市のあるりんご畑の中に、古い五輪塔が立っている。これは「狐丸塚」とも呼ばれ、武田信玄(たけだしんげん)に仕えた小笠原若狭守(おがさわらわかさのかみ)長詮(ながのり)の家臣・桑山茂見(くわやましげみ)の墓と伝えられている。茂見は、川中島の戦いで、主君・長詮を逃がすために、長詮の鎧兜と愛刀・狐丸を身に着け、身代わりとなって討ち死にした。 合戦後、散乱している亡骸と武具を集めて塚を築いたところ、夜ごと塚に狐が集まり鳴き騒ぐ。不審に思い塚を掘ってみると、茂見が最後に持っていた狐丸が見つかったという。以来、この塚は狐丸塚と呼ばれるようになったといわれている。 小狐丸も狐丸も、現在所在不明である。