黒田継高の心を支えた名刀「兼光」

黒田継高は江戸時代の福岡藩の第6代藩主であり、非常に領民のために尽力した名君と語り継がれています。その中でも特に様々な自然災害に迅速に対応し、また新たな政策を打ち出し領民の生活を豊かにしようとしたことが有名です。

凶作や飢饉等に備えて備蓄を行う「用心除銀」や、参勤交代の際に農民に課する助郷役と言う労役の軽減、堀川の開鑿工事など、領民の生活を豊かにするために様々な施策を打ち出しました。特に「用心除銀」は、当時の徳川将軍であった吉宗の目安箱を真似て良民から意見を取り入れ、これを実現した成果となっています。

黒田継高のこのような領民に尽くす心を支えたものの1つに、徳川家から元服の際に下賜された名刀「兼光」の存在があります。その美しさと潔さが、若き黒田継高の心を魅了し、藩を守る決意を与えたものと言うこともできます。